ひとり暮らしのあれこれ

考えたこと、思ったこと、日々のできごとを綴ります。ほとんど私的な日記。本のこと、中国語・語学、旅など。

詩の一歩手前で

吉野弘さんの『詩の一歩手前で』(河出文庫,2015)を読んだ。
この方の詩は、「漢字喜遊曲」で出会ってからずっと好きだ。

母は舟の一族だろうか
こころもち傾いているのは どんな荷物を積みすぎているせいか

この一節で心を掴まれた。
漢字の形に着目する発想はもちろんだが、目に入ったときに家族とか家を背負って傾きつつ進む孤舟が浮かんで、母の日々の生活を思ってしまった。
今回読んだのは彼のエッセイだ。

戦後すぐに生まれた方で、エッセイの内容は、時代を感じる内容もある。
しかし、今読んでもはっとさせられるものが多い。
私が感じていることを、的確な言葉で代弁してくれているような錯覚を感じた。
心に残った言葉をいくつかメモしておこうと思う。


なんだか、経済的に苦しい人たちほど国から見離されて孤軍奮闘しているような気がするのだ。日本人は貯蓄好きだという報告もあるが、馬鹿を言うなと怒りたくなる。何もしてくれない国に対しての不信指標が国民一人当りの貯蓄額だ。
(「国民は祖国に対して自衛しなければならないのか?」)

私自身も、将来に不安を感じている。
老いてから、社会保障がある保証もない。景気をよくするためにはお金を使わないといけないのかもしれないが、未来に不安があるから「今」お金を使うことに抵抗がある。
「その通りだ!言葉にしてくれてありがとう!」と言いたくなる。
お金自体も「信用」でなりたっているから、貯蓄しても意味があるのかは未来にならないと分からないのが絶望的な気もするが。


ある一つの主義にこり固まった人同士の対立を見ていて絶望的になるのは、そこに「自分の主義も相対的なもの」と考える寛容さが欠けているからだ。味も独善的になると、味気ない。おいしいと思うことを幸福と感じる、他に強制しない、そういう、ひっそりとした豊かさであれば味は十分なのではなかろうか。
(「「食」随想」)

 

これは食と味についての文章だが、「自分の主義も相対的なもの」と考える寛容さが欠けている、というフレーズは、いろいろな場面に当てはまると思う。
相対的なものを他者から押しつけられると不快に思うし、
私も「正しい」とか「まちがってる」とか、相対的なものを押しつけるのはやめていきたいと思う。お互いの「正しい」と思う主張で対立しているのはむなしい。

 

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